幽霊の記憶

懐かしいうに

テンポの悪さ、作画のぎこちなさがいい味を出している-八月のシンデレラナイン-2話感想

スポーツを扱ったアニメを久しく見ていない。そもそもスポーツが嫌いだったし、誰かを打ち負かして嬉しさを得るその構図が、自分にはとても合わないと思っていた。小学校・中学校の頃はなんとなくサッカー部(小学校は外部のサッカークラブ)に入っていたけど、周りの人間とソリが合わず、頑張って練習して試合に勝って、それの何が面白いのか分からなかった。中学校ではそれに嫌気が差して幽霊部員となり、対外試合のたびに家の前まで呼びに来る部活の同級生の声に怯えていた。部活のせいで不登校にもなった。

八月のシンデレラナインはスポ根アニメというやつだろう。気づかなかったが、2,3年間ハマっていたアイドルアニメと物語の進行がよく似ている。アイマスにしろアイカツ!にしろWUGにしろラブライブ!にしろ、ともすれば迫害にも見える逆境、ほとんど何も与えられない砂漠のような場所から、きらびやかな舞台に泥臭く、努力をして這い上がっていく物語だった。今思えばそのワンパターンなヒロイックストーリが嫌になってアイドルものに近づかなくなったのかもしれない。

挫折と諦めからくる疎外感

1話を見て、ラブライブ!と同じじゃないか、と思った。奇天烈で行動力は飛び抜けてある主人公、目標を持たないが故にそれに引き寄せられる羊たち…。にゃんこみたいなパーカーを被ったおどおどした娘、宇喜多茜は自分より部活に対するモチベーションの無さそうな河北智恵に運動神経で格の違いを見せつけられ、落ち込む。

2話も人物は違えど構図はほとんど同じだ。少女の頃から野球に慣れ親しんでいる鈴木和香は、同年代の子の才能を見て、野球を楽しんでいる姿を見て、「私には無理だ、野球は結局ある程度上手い人が楽しむものなのだ…。私には縁の下の力持ちが向いている」と挫折する。

その孤独と疎外感。皆は輪の中で、私とは違う喜びや悔しさ、達成感を感じている。いくら頑張ってもその輪の中に私は入れない。頑張っていた?本当に?でも私は頑張る資格すらない。だって、練習の痛みすら楽しんでしまえるような、そんな"才能ある"人間と私は違うから…。

答えはまだわからない

和香は何度も茜に過去の自分を見る。痛かったこと、つらかったこと、笑ったこと。

「楽しいの?向いてなくても」
「うん!最初はボール怖かったけどだんだん平気になってきたし、ちゃんと捕れると嬉しいし…」

素朴に、素直に野球を楽しむ茜を見て、和香は思い出す。楽しかった野球を。今でも野球が好きなことを。1

斯くして野球同好会は発足する。これまで積み上げられた過去にケリを着けられたわけではないけど、それはこれからの楽しみということかな? とりあえずもう少し追いかけてみようと思う。制作費が少ないせいか作画が怪しく、テンポも良いとは思えないけど、"転"を見るまではとりあえず。


  1. このあたりの描写が足りない、というか些か性急に感じた。有原翼のボールを受ける前に余白が欲しかった。